【実録】別居から離婚するために④

 

ichicoのプロフィール

2018-06-12

はじめての方へ。詳しいストーリー

2018-06-13

 

こんにちは。ichicoです。

たくさんのブログの中から見つけてくださり、ありがとうございます!

【実録】別居から離婚するために。まとめ記事

2019-05-23

【実録】子供に別居(離婚)の話をしました。その影響は…まとめ

2019-05-23

10月28日の夜に義実家で総攻撃を受けたあとの話からですね。

もちろんすべてリアルな体験に基いています。

今から、その後である続きを書いていきます。

別居から離婚の話を進める

10月29日のこと。

午前中に福祉士さんから電話がありました。

【実録】別居から離婚するために②

2018-11-02

上記の記事にもあるように、10月26日に市役所で社会福祉士さんたちと話したあと、社会福祉士さんが、

「物件の件はともかく、こちらでお世話になっている弁護士がいるので、その方に今回の話を聞いてもらって”このまま今の家に住んでいてご主人に親権がいってしまう可能性はあるかどうか”ということを聞いてみます。」

と言ってくださっていたので、その回答です。

社「実は弁護士と都合がつかずまだ聞けていなくて…すみません。」

私「大丈夫です!こっちはあれから少し変化があったんですよ!」

社「そうなんですか?」

私「はい!27日に私と主人と長男と長女で話をして、子供たちに別居するってことを伝えました。子供たちにはもともと24日に別居のことを伝えていたので大丈夫だったんですが、そのとき主人が28日に家を出て義実家に行くって言ったんですよ!」

社「え!もう別居できてるってことですか?」

私「そう!昨日から!で、昨日は夜義実家に行く機会があったので、話してきました。その日からもう別居だし、義実家は主人から相当私の愚痴を聞いてると思うんで私のこと良いふうに思ってないはずだと思って、”もうここには来ません”って。」

社「そうなんですね。」

私「はい。そしたら、義父と義母を義妹から総攻撃を受けまして…」

社「え、ichicoさんがですか?」

私「私がです。義妹からは”誰のせいで浮気したと思ってん”と言われ、義母からは”方言が変わらんことや、しんどくても自分で働いて出て行かんことがおかしい”と言われ、義父からは”思いっきり弁護士立てて抵抗したるから覚えとけよ”と脅され…」

社「・・・ちょっと考えられないですね。」

私「だから私も必死に訴えましたよ。義父が”母子家庭だと子供が不幸になる”って言い方をしたので腹が立って。義父自身が父親を早くに亡くして母子家庭だったので、”じゃあお父さんは自分が母子家庭で不幸でしたか?”って。」

社「はい。」

私「すると、不幸ではなかったけど、義父は小学校高学年のときから新聞配達を始めたそうです。兄妹も5人いたし。それで、部活はできない、遊びに行けない、旅行にも行けない。寂しいのもずっとあった。それがとても辛かったと。」

社「はい。」

私「そんな思いを自分の子にはさせたくないって思いで今まで子供に対しては十分やってきたと。で今回孫がこれから中学校入るタイミングで親が離婚しようとしている。自分と同じ苦しみをさせたくない。だから私には渡せないと。」

社「そうだったんですね。」

私「でも私は、シングルだからって子供が不幸になるなんて思ってないんです。今のこの環境の方が明らかに子供にとっては不幸だと思っていて。」

社「そうですね。」

私「私は、母親が元気に笑っているほうが子供にとっても自分にとっても良いと思っています。それを必死に伝えました。義父に。そしたら義父も少しは分かってくれたのか”じゃあもうなんも言わんからふたり(私と主人)で話して決めて”ってなりました。」

社「それは、ichicoさんがんばりましたね。」

私「必死でしたね、本当に。でも義父は機嫌そこなうとまたなにを言ってくるか分からないので、警戒はしておきます。」

社「そうですね。いつでも動けるようにしておいた方が良いですね。じゃあまた明日、弁護士に聞いたらお電話しますね。」

私「ありがとうございます。よろしくお願いします!」

 

「誰がどう聞いても義実家は言うこと成すことおかしい」と私の周りは口を揃えて言います。

義実家の言う「普通」はどう考えても「普通」に思えません。

 

これはみんな言ってくれることですが、

「どうしてもっと早く言ってくれなかったん?もっと早く言ってくれたら力になったのに。」

『自分が我慢していれば…』なんて、自分だけの殻に閉じこもる必要はなかったんだなってやっと気づけました。

別居…大丈夫そう?

10月30日。

午後に改めて福祉士さんから電話が入り、弁護士さんと話したと、その内容を教えてくださいました。

社「まず、ichicoさんが子供3人を育てられるかってとこで見られると思います。金銭的ではなくて、メンタル的にです。」

私「はい。」

社「親権を取るということは、子供にとって不利益になるといけないんですね。例えば、子供の親権を取ったは良いけどメンタルに問題があり子供を育てられる状態では無かったりすると、子供にとっては良くないですよね。」

私「はい。」

社「だから、親権を取るには親権側のメンタルが大事ということです。今通っている心療内科で、先生に1度聞いてみたらどうでしょう?今のメンタル的に大丈夫かどうか。」

私「分かりました。次行ったときに聞いてみます。」

社「それから、もし今向こうが裁判を起こした場合、ichicoさんの出身地である広島で裁判を行うことができるようです。でもこっちから訴えると、大阪でずっと裁判が続くそうです。」

私「そうなんですか?広島で裁判…引っ越ししたあとならその方が良いですけどね。でもできれば広島に帰る前にすべて終わらしてスッキリして帰りたいですけどね…」

社「そうですよね…。とりあえずは、以前ichicoさんが相談した弁護士さんに”なにかあったらお願いするかも”ということを伝えておいた方が良いかもしれませんね。」

私「そうですね。」

社「今の生活とこれからの生活を考えたときに、なにが1番か選択しながら動いていくって言う癖をつけた方がいざというときに動きやすいですよ。できるなら、この半年間なにもなく穏便に過ごすのが1番な気はしますけどね。」

私「私もそう思います。今引っ越ししてもお金がかかるだけだし、あと数ヵ月義実家の前だけど、今まで12年間やってきましたから。なんとかなる気がします!」

社「そうですね。引っ越しは本当にichicoさんが大変すぎるのでおすすめはできないです…。ichicoさんがそこにいられそうならその方が良いですし、引っ越しとなると荷造りや荷解きだけで時間かかりますし、その間にできることはあると思うので。」

私「ですよね。このままやってみます。あともうひとつ聞きたいんですが、小学校や中学校の転校手続きってまた市役所に行けばすべてできますか?」

社「そこは、もちろん市役所で手続きしますが、まずは学校の先生で信頼できる方っていますか?」

私「長男と長女の担任の先生は結構ベテランなので信頼できます!」

社「そうなんですね!だったらその担任の先生に相談してから動き方を聞くのが良いと思います。」

私「まず先生ですか!」

社「そうですね。やっぱり学校の先生って毎年転校してきたり転校していく生徒を見てきていると思うので、ある程度周知してると思います。」

私「なるほど!じゃあまず子供の意思を再確認してから、それぞれの担任の先生に話を聞いてきます。」

社「それが良いと思います。どれくらいの期間にどんな手続きをしないといけないのかを聞いてみてください。手順がありますからね。」

私「聞いて良かったです。ありがとうございます!」

社「とんでもないです。あと例えば、広島に引っ越しする少し前に住民票を広島に移して大阪と広島とを行き来しながら引っ越しの準備をするとか。」

私「そんなことできるんですか?」

社「もう引っ越しがすぐと決まっていて、場所も決まっているなら大丈夫です。」

私「じゃあ引っ越す少し前に住民票を移して私はどんどん準備していけば良いんですね!」

社「そうです。3月末に大阪と広島ですべての手続きをしようとしたらとんでもなく大変と思うので、少しずつでも準備はしておいた方が良いですよ。」

私「分かりました!こんなに親身に話聞いていただいてありがとうございました!助かりました。」

社「私はここにいますので、またいつでも来てもらって良いし電話でも良いですからね。ひとりで悩まないでくださいね。解決策は必ずありますから。」

私「ありがとうございます!」

 

なんて良い人なんでしょうか…(泣)

本当に良い方に巡り合えました。

社会福祉士さんのおかげで、少しずつ先が見えてきました。

(住民票の変更には期限があります。破れば5万円以下の罰則があるそうです。その辺もまた記事にします)

婚姻費用(生活費)をやっと

10月31日。

別居してはじめて婚姻費用(生活費)をもらいました。

リアルな数字を言いますが、はじめは向こうが「4万で良いやろ」と言ってきたんです。

4万で、4人の食費・日用品・病院・習い事・その他(子供の洋服代)など…

どう考えても無理です。(家賃や光熱費、学費は向こう持ちです)

私は節約は得意な方だと思っているので、5人で生活していたときも食費はできるだけ4万はかからないように外食も一切なしでやってきました。

でもいくら4人になったとしても4万はひどい。

だから「4万から上げる気がないなら婚姻費用分担請求調停で決めよう。」と提案しました。

すると、「お前な、なんでそんなしょうもないことばっか調べてん。そんなこと調べる余裕があるなら働けよ。」と…。

まぁなんと言われようが良いんです。

向こうが言うことはすべて自分の不甲斐なさから出て来ている言葉ですから。自分で自分の首を絞めている言葉ばかり。

調停という言葉を出したおかげか、4万円だった婚姻費用(生活費)が増え、長男の習い事代も足して5万5千になりました。

「足りなかったらまた言ってくれ。」という感じでした。

倒れる寸前

11月1日。

晩ご飯を食べたあと、急激にお腹が痛くなりその場に横になった。

でも全然収まらない痛みに耐えながら、子供たちに笑顔で「ちょっとトイレー!少し長いかもー」なんて言いながら嫌な予感がしつつトイレへ。

かなり久々に脳貧血になりました。

(数年前までこの症状は”過敏性腸症候群”と思っていたのですが、いろいろと調べているとどうもこれは脳貧血らしいです)

1度目の浮気以降、年に1.2回なっていた脳貧血。ここ3年ぐらいなってなかったのに…

強烈なストレスにより起こっているようで、その症状は急なお腹の激痛からひどく下すというのが繰り返し続きます。意識がもうろうとなるくらいの腹痛です。

周りが真っ白になり、体はほてり、自分が今どうなっているかも分からないほどもうろうとします。

座っているのもやっとで、意識を手放せば簡単に倒れます。

ほんの少しだけ残ったわずかな意識を頼りに、お腹の激痛に耐え、もう(激痛は)来ないだろうと思ったらフラフラしながらやっとの思いで水を流しトイレから出ました。

横にある洗面所の鏡で自分の顔をみてゾッとしました。

そこには、血の気がまったくない真っ青な顔の私がいました。『幽霊みたい…』なんて思いながら子供たちがいるリビングへ。

子供たちには自分がしんどいところを見せたくなかったけど、今回は顔を見ただけで分かるほどだったので、「お母さんお腹痛いから少し横になるね。」とソファーにゴロン。

いつも脳貧血になると、半日は寝ていないとものすごくしんどいのですが、主人がいない今、誰にも頼れないので30分だけ横になって子供たちとお風呂に入りました。

お風呂から出ると倒れるように布団で横になり、その日は早めに就寝しました。

別居と同時に…

11月2日と3日。

子供3人晩ご飯は義実家でそのままお泊り。

11月4日も義実家で晩ご飯。

ここぞとばかりに子供たちを義実家に誘います。

「ichicoちゃんをひとりにしようとしてんやろうな~」

と知人は言います。

そうだろうな~。すごく寂しいけど、ひとり時間はできるだけ広島に帰ったときのことを調べるようにしています。

家のこととか住む地域のこととか。

でも後から気づいたんだけど、家のことはそこまで早く決めようとしなくても良いんだということ。

例えば、半年前に住みたい家が見つかったとしても、不動産屋や家主さんが半年も待ってくれるわけがありません。

だから、どこの市に住むかということを決めといて、少しは物件も見といても良いかもしれませんが、実際住む2か月前ぐらいにきちんと調べ出せば良いんじゃないかな、と思いました。

良い物件というのはすぐ無くなりますから。

私も、子供たちの冬休みに広島に帰るので、その少し前ぐらいから物件を本格的に見ていこうと思います。

良い物件に巡り合えますように!!

心療内科で安心の声

11月5日。

かかりつけの心療内科へ。

先生に会ったときの第一声が「前回と表情が違うやん!」でした。

前回の診療は約2週間前。このときは今までで1番辛い顔をしていたと思います。自分でも『生気ないなぁ』って他人事のように思っていたぐらいです。

2週間前にあまりにひどい顔をしていたので、いつも穏やかな先生がこのときばかりは真剣に薬の変更をし、日常の話を聞いてくれて、相談員さんも呼びこれからどうしていくのが良いかと話し合ったほどです。

新しい薬が私の体に合ったのか、それとも別居をして気持ちが晴れたのか、とにかく「2週間前とはえらい違いだ^^」と安心してくださいました。

その後、相談員さんともじっくり1時間話し合いました。

相談員さんも2週間前は本当に生気がない顔をしていて相当心配してくれてたようですが、今回私の顔を見て、話を聞いて「安心した」と。

「一時はどうなるかと思った」と言っていました。

「私がここまで動いて自分でなんとかしようという気持ちが湧いてきたのは、すべて相談員さんのおかげ」だとお礼しました。

相談員さんは「それはichicoさんのがんばりだよ。」と言ってくださったけど…

相談員さんが10月23日に無理やり弁護士さんのところや市役所に引っ張って行ってくれなかったら今の自分は本当になかったと思います。

あの日、私の中でなにかが大きく変わりました。それはとても嬉しい変化でした。

 

10年前、私が心療内科を選ぶとき、ここを選んだ私は正しかった。

もしかしたら、今回のために私はここを選んだんじゃないかと思えるほど、良い選択をしたんだなと。10年前の私を褒めてあげたいです。

たくさんの感謝を述べて次女と家に帰りました。

 

さて、今回はここまで。

また続きを書きますね。

別居から離婚まとめ

今回も、別居から離婚するための動きを書いていきました。

とても頼りになる社会福祉士さんのおかげで道が拓けたし、婚姻費用(生活費)をやっともらえたことで今までにないほど自由に生きていることを実感できるようになった。

身体はまだ万全ではないものの、少しずつでも私は元気になっていってるし食欲も出てきたのでご飯が食べれることがとても嬉しいし、布団に入るのも、主人と同居しているときは全然深く眠れなくて大好きだった寝ることさえ苦しかったのですが、ここ最近は布団に入ることが幸せで幸せで!

生きてるってこんなにも幸せなんだなって、なにもない頃は当たり前に思えたことがすべて感謝に繋がりました。

ありがたいことだなぁ。

 

”若いときの苦労は買ってでもせよ”

ということわざがあって、年配の方がこれをよく言う意味が分かるなぁ。

なんて、しみじみするichicoでした。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

ichico.

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