こんにちは!ichicoです。
たくさんのブログの中から見つけてくださり、ありがとうございます!
前回は、親戚のみなさんにお礼をして、話し合いにどこまでも逃げる主人に対して第3者の介入を提案しました。
長女からは義家族の信じられない発言も聞きました。
今回も、協議したい私、逃げまくる主人、その話し合い(?)を書いていきます。
いつまでも逃げる主人を私はみすみす逃していたのかもしれない。
私の詰めが甘かったからこんなことになってしまったのかもしれない・・・
目次
話し合いの予定
11月20日。
夜、主人が自分の荷物を取りに来たときに少しだけ話しました。
私「次女の七五三どうするん。」
主「11月末やな。」
私「それまでなにがあるん?」
主「オレ休みないから。忙しい。結婚式の二次会とか。」
私「二次会って朝から晩まであるの?」
主「朝は集まってうち合わせ。」
私「他は?」
主「忙しい。」
ここまで逃げていたら11月末も話してくれるとは思えない…
婚姻費用

11月21日。
婚姻費用について話しました。
私「病院行ったら領収書こっちに渡してください。あと、今月もうお金なくなりました。」
主「なににそんな使うんですか?」
私「食費や日用品や病院代。今月(長男の修学)旅行あったからその小遣いやお土産代、自治会費あったりいろいろ重なったから」
主「あっそ。あと5000円で足りるやろ。」
私「来週中病院に行くからそれじゃ足らない。」
主「何で?ご飯何日分いるん?めっちゃ使ってるな」
私「必要経費だから」
主「今までより使ってるやんけ」
私「なにも知らんのに勝手なこと言わんで。出かけるときは自費だし。そっちは金持っとるじゃ」
主「持ってませんけど」
私「隠し財産ちゃんと財産分与してね。」
主「好きにいうてたら?本間に何言うてるん。話にならんわ。渡した分でやってください」
私「なら調停で」
主「渡す金ないのにどうやって渡すの?」
”オレの金やのに”という傲慢さに腹が立ってしょうがない。
”忙しい忙しい”と言いつつ、朝6時半から出かけてて長女に「なにしに行ったんだろう?」と聞いたら「”遊びに行く”って言ってたよ」って。
遊びに行くのが忙しい理由だなんて、よくできた言い訳。
「休みはない」

11月28日。
2週間前に親族で話し合ってから1度だけ主人と話しました。
そのときもなにも話が決まらなかったから「早いところ話つけたい」と言うと「今月は休みない」と嘘をつき話し合ってくないまま2週間が経ちました。
26日に長男が友達に相談して大阪残る宣言した次の日に、長男が義母と義妹にも「大阪に残る」と宣言。
それが主人に伝わってその日の夜。「明日長男と長女と話したいから夜こっちでいい?」つまり”お泊まりさせていい?”って。
そう言う必要最低限の連絡しかないし、話が進む気がしない。
このままじゃダメだしどうやって進めていこう。
終わってない

11月29日。
次女の七五三が終わったあと、少し話をしました。
私「やっと話せる?」
主「しゃあないやん忙しいんやから。今日かって昼から次女の七五三やったし。」
私「午前中暇じゃ。」
主「暇ちゃうし。オレお前みたいに暇ちゃうから。全然時間もてないんで。」
私「こっちも忙しいけど。今までさんざん待ったじゃ。」
主「だから忙しいから。」
私「まぁいいや。子供たちだけど、長男も長女もそれぞれ友達に話してて親に言ってる子もいるから。私も子供たちの気持ち考えたら”話すな”とは言えんかったし。」
主「ふーん。」
私「だからもしかしたら広がっていくかもしれんし。噂とか。」
主「先生も何人か知ってるからな。」
私「そりゃ知っとるじゃろ。」
主「じゃあもう行くわ。」
私「どうするの?このままズルズルいくの?相手とはどうなってんの?」
主「は?知らんよ。連絡とってないよ。」
私「じゃあ私がどうしてもいいね。」
主「それは意味が分からない。」
私「前に関係ないって言いよったじゃ。浮気相手。連絡とってないんでしょ?」
主「前はとってたけど。」
私「うん。え、もう終わった?」
主「いや、今連絡とってないだけ。」
『はい、”終わってない”って自ら暴露』
私「今はとってないって意味分からん。」
主「別に良いやん。関係ないやん。」
私「・・・」
主「訴えるとかそういう考え自体が俺には考えられへん。」
『そりゃそうだろうよ。浮気した人には考えられなくて当然ですよね。自分がピンチなんだもんね』
私「まぁいいや。話せんのんならいいや。」
主「そういう脅しばっかり。」
『いつ脅した??』
はい、いつものように逃げました。まぁそうなるよね。情けない。
こんな人に長男を任せるなんて…本当に無理…。
義実家もきっと主人に期待はしていない。義父たちが長男を育てようとしてると思う。長男が大事な跡継ぎだから。
義祖母と…

12月2日。
夕方突然、玄関のチャイムが・・・
『え、義父?』なんて苦い顔をしながら玄関に行くと、なんと義祖母と知人が…。
結婚してから数回しか来たことなかった義祖母がどうしてうちに?
そんなのアノ話しかないよね。
義祖母「ichicoちゃん、あれからどうや?」
私「あのとき(親族総出で話し合い①・②)はありがとうございました!本当に助かりました。」
義祖母「私も気持ち分かるんやで!ichicoちゃんの気持ち分かるからみんなichicoちゃんの肩持ったんやで!」
私「はい。ひとりだったらどうしょうもなかったんで。」
義祖母「でもな、私はichicoちゃんに居てほしい。ここまでやってきたやんか!男ってそんなもんやで!」
とにかく私や子供たちを引き留めようと、いろいろ言ってくださいました。
・・・
私は昔おばあちゃんっ子だったので、年配の方の話は好きです。
昔のこととか若いときの苦労話、おばあちゃんの知恵みたいな話を聞くと楽しくなります。
だから義祖母の話もよく聞いていました。
義祖母はとても苦労されてきた方だったので、その話も聞いてて本当に尊敬していましたし、良くしてもらっていたので感謝もしています。
ただ、今回のこととそれはまた違う話。
確かに義祖母の言うことも分かります。
主人だけが悪くてこうなったわけじゃないし、子供には親が必要で、できれば両親そろって仲良くしている方が良いのかもしれません。
しかし相手によってはそうはいかない人もたくさんいます。
望んでいないのに大きな試練が降りかかり、本当なら被害者と言われる側が加害者(や、その他いろいろ→義家族とか)にののしられる。
それを”受け入れろ”というのはあまりに酷すぎます。(私のことだけではなく)
加害者には理解してほしいなんて思いません。でも加害者(や、その他いろいろ)に我慢を強いられる言われもありません。
義祖母や知人にはいろいろなことを言われましたが、私はやっぱり私の道を進みたい。
どれだけお世話になっていても、そのことに引っ張られて我慢して人生を生きたくない。そんなの自分の人生じゃない。
自分の人生は自分で道を選んで良いんです。(周りを見ることも必要)
30分ほどお話しました。
話しの中で、義祖母たちに義実家でのご飯に誘われました。
もちろん何度も断りました。
「私はもう義実家には行かないと義家族にも言っているし、向こうも私のこと良く思ってないので行けません。」
けど・・・
久しぶりに義実家へ

「ichicoちゃん、家族やんか。いろいろあったかもしれんけど、家族をないがしろにしたらあかんで。つながりを自分から絶ったらあかん。ひとりになったらあかん。」
義祖母は私を思って言ってくれているのは分かっています。
けどどうしても行きたくない。
行ったところでどういう思いをするかは分かり切っていた。
だから何度も断りました。
だけど義祖母は聞いてくれない。
「大丈夫やから行こ」の一点張り。
私は諦めて行くことにしました。
義実家に着きリビングに入ると、私に気づいた義父は一瞬顔をゆがめました。
そして普段より低めの声で「いらっしゃい」と。居心地悪っ。空気も悪っ。
義母と義妹は普通にしていたようけど私からすると明らかに表情が固い。(私もだけど)
こんなに居心地と空気が悪い場所、一瞬たりとも居たくないですが、義祖母が帰るまでは我慢しました。
義祖母が帰った瞬間、「体調が悪いから」とひとり家に帰りました。
なんとも言えない開放感…
長男と長女と次女は、向こうで風呂に入って21時ごろ帰宅。
そこから長男と1時間ふたりで話しました。
私の気持ちはしっかりと伝えた。長男はどう考えるかな。
(この記事に書いています)
もしあのとき帰っていたら…

12月3日。
朝、義父の妹さんと電話して、義祖母から言われたことを相談。
妹さんたちにはもう迷惑かけないと決めていましたが、義祖母と話したとき、「冬休みは広島帰らんと大阪おってな」と何度も強く言われたことを不安に思い、聞いてもらったのです。
妹さん「おばあちゃんにそない言われても冬休み帰ればいいんちゃう?準備してるんやろ?まだ時間あるんやからな。
ichicoちゃんも働く意思見せたらいいんちゃう?短期間でもいいからな、パートでも。そしたらいらんことも考えんでええしな。家にずっとおったらいらんこと考えてしまうやろ?
ichicoちゃんはちょっとここ(大阪)におりすぎたな。離婚するって言ってからすぐに(広島に)出て行ったらまた違ったかもしれんな。」
つまり妹さんが言いたいのは、私が
”みんなの前で離婚して広島帰ると言ってすぐ広島帰っていたら、なぁなぁにならなかったし長男もそのまま私について来てくれたんちゃうか。”
ということ。
まさにそうですよね。私もそのときは精一杯で気付きませんでした。
長男がずっと通っていた小学校で卒業させたい気持ちが強くて、ここから去ろうとはしなかった。
ここが私の甘さだったのかもしれません。
今どうこう言っても仕方ないですが。
妹さんが言ったことはごもっとも。
働くことも考えましたが、どう考えてもそんな時間ない。
「あと4ヵ月あるやん。」とも言われましたが、もう4ヵ月しかないのです。(このときはひたすら守りに徹していました…そうなると否定的なことしか言えなくなります)
離婚準備をしていろいろな手続きを踏みながら仕事…しかも13年ぶりの社会復帰。考えただけで怖かった。
どっちにせよ今後仕事は探すし始めます。
今は自分の精神を安定させて、離婚後の生活の軸をしっかり保てるよう考え心掛ける。そのことに重点を置こうと思いました。
『冬休みは…やっぱり帰ろう。』
義祖母は正直怖いですが、自分の人生なんだ。
役所の社会福祉士さん

12月5日。
この日は社会福祉士さんから電話がありました。
またDVなどの事態になったときにすぐ対応してもらうために、心療内科の相談員さんに相談するように勧められていたので、以前から主人とのことを相談していました。
言ってないより、相談していた方が役所の方も動きやすいです。
やっぱり住んでいる地域の役所には、なんでも相談しておいた方が良いなと実感しました。
なにより私の担当になってくださった方は、本っ当に良い方で、常にいろいろ気にかけてくださいます。
電話でも、生活のことや子供のこと、身体のことを心配してくださって…気にかけてもらえるってありがたい(泣)
冬休みには、広島の役所の方と連絡を取り合っていただくことになりました。(冬休みに広島の役所に行って手続きのことなど相談したかったから)
前もってやりたいことを相談しておいたら、役所の方もそれに応じて動いてくださるのでとても助かりました。(冬休みのことはまた記事にします)
話しにならない

12月8日。
この日はもともと長男と買い物へ行く予定でした。
が、以下の記事にも書いていますが義実家が勝手に用事を入れて長男は昼から難波に行くことに…
そこで私は主人に連絡をします。
私「長男難波行かなあかんって言うけどなんの用事?こっちは先に予定組んでたんだけど」
主「買い物なんか一人でいけるやん」
私「予定割り込んでこんといてよ」
主「割り込むも何もしらんやん」
いつもそう。義実家がしたことに対しては我関せず。
私「あと休みの日でも話し合いしようとしないし引き延ばすから次話すときは第三者呼ぶね。今月中に話決めたいし」(冬休みまでに話をまとめたかった)
主「昨日のこと?昨日無理やん?」
私「夜も無理だったん」
主「無理やったよ」
私「時間作ろうとせんよね。どう考えとるん話し合いのこと」
主「考えてます。仕事中なので」
私「次は第三者込みで。そっちも呼んで。日にち決まったら教えて。21日からおらんからそれまでで」
この後は無視でした。
ほら、話にならない。
とにかく早く話を終わらせて気楽になりたかった私は、諦めません。
12月11日。
私から連絡しないといつまでもなにも起こらないので、また連絡しました。
私「あと10日しかないけど。いつ話し合いますか」
主「明日祖母に大丈夫か聞いてみるわ。(話するために)時間作ってって言ってたから」
私「明日は無理。個人懇談」
主「何時から」
私「義祖母と話さんのんじゃなかったん。」(義祖母が主人に対して話したいと前から言っていたのですが、主人は”忙しい”と逃げていました)
主「あの日があかんかっただけ。それまでに帰れるよ」
私「親戚巻き込まんのんじゃなかったん」
主「祖母がどうしても話したいってさ。電話かかってきたから」
私「義祖母は離婚反対してる。この前話したとき言ってた。子供のために辛抱したほうがいいって」
主「それを二人の前で言いたいんじゃない?明日13時に祖母家に行くので」
私「2人って私ら?」
主「そやろ」
私「それでも行くの?なんて答えるん」
主「とりあえず行かなしゃーない」
私「今日の夜少し話さん?うちで」
主「考えとく」
私「今日休みなら話せるんじゃないん」
主「オレに準備する時間はくれないんですね。」
私「前々から言ってるその準備って何?何が準備なん?今まで散々待ったし夜だって時間あったよね。毎回夜中に帰るわけじゃあるまいし。この前長男たちが泊まりに言った日だって、”お父さん夜ずっと寝てた”って聞いたけど」
主「夜は寝るやろ。疲れとれないんですよ」
『知らんわ』
私「だからなんの準備なんかって」
主「色々。言う必要ないですよね」
私「じゃあやっぱ調停する?調停ならいつまでも逃げれんし」
主「逃げてるんじゃないから。今日長男ご飯も全部こっちでするって」
『逃げてないならなんなんよ』
話してたららちがあかない。
だけど・・・
『どうしてこのときすぐ調停しなかったのか』
と、私はのちのち後悔することになります。
2度目の義祖母との話し合い

12月12日。
結局昨日はうちに来て話し合いをすることはありませんでした。
朝主人が自分の布団を取りに来たので、昨日なんでこなかったのか聞くと、
「疲れたから。」
”疲れたから”とか”飲んだから”とか”寝てたから”とか”準備したいから”とか。
子供なの?情けないのひとこと。
『今月中には話をまとめてしまいたいのに』
私は、こんな甘いことを考えていました。
”こういう人だ”って分かっていたのに、どこか楽をしたくて、『面倒くさい・お金がかかるから』と思って主人を追い込むことのできる方法から私も逃げていたのです。
スルスル話が進むならこんなことになってないっていうのに。
この日は、昨日急遽決まった義祖母と知人との話し合い。
案の定車で少し言い合い。
向こうも面倒くさくなったのか、「もう調停しよや」と言い出す。
『もう12月半ばだけど…』なんて思いながら私もカッとしていたので「じゃあすぐ裁判所行ってくる」と返事。
義祖母との話し合いは、想像通り離婚を止められました。
1時間半の話し合いの間、
「ichicoちゃんひとりで3人の子育てなんて絶対無理」
「今はしんどいかもしれんけど、我慢してたら良いこともあるで。辛抱やで」
「片親は惨めやで」(義祖母は死別で片親経験しています)
そんなことを言われ続け…
いろいろと考えて前へ進もうと思っていたけど、主人の親戚からの思いが私の気持ちを後退させてしまいます。
この思いにどうしてもとらわれてしまう…
全てはねのけて自分の強い気持ちだけで進めたらどれほど楽か。
帰りの車中で主人から
「(冬休み)広島帰らんの?」
「(義祖母の)話聞いてどう思った?」
とか聞かれたけど、全て無視して話はしませんでした。
『話をしたところでなにが変わるんだ』
長男と長女の個人懇談が終わり、長男が家に着替えを取りに帰ってきたとき主人も家に入ってきました。
そこでお互いの個人懇談で話したことを聞きあって、長男とふたり義実家へ行きました。
今回はここまでにします。
別居から離婚まとめ
今回は、別居してまだ1ヵ月目で、今月に限ってたまたま長男の修学旅行や別の出費が重なったため婚姻費用が足らず、請求したら拒否されたということろから。
我が家の婚姻費用について詳細は話せませんが、婚姻費用の金額というのは「養育費・婚姻費用算定表」というものが裁判所の資料として存在します。
ここから見て決めたり、協議で決めるのなら夫婦の話し合いでだいたいの金額を決めるのも良しと思います。
ただ実際生活してみて、足らないということになれば、夫に申し出て足らずをもらうか、もし私のように拒否されるのであれば、「婚姻費用分担請求調停」を申し立てる必要もあります。
また改めて記事にしますね。
生活は身体が資本です。
かといって贅沢がしたいわけではないですが、無理をし過ぎない生活をしていくために、最低限の生活費は確保したいものです。
また続きを書きます^^
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
寒い日が続くので、みなさんどうかご自愛ください…!
ichico.
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